パジャマ人間

日常の思考や嗜好やなにかの感想など

昨年いちばん聴いた曲

昨年いちばん聴いた曲は、鈴木瑛美子×亀田誠治『フロントメモリー』である。神聖かまってちゃんの曲をカバーしたものだ。スマホのプレーヤーアプリの再生回数トップ20の1位に君臨し続けている。

映画『恋は雨上がりのように』で、このカバー曲を初めて聴いた。夏の青色の若さ爆発のとても素敵な映画で、「なにこの映画…好きーっ!」となったのだが、『フロントメモリー』は映画の内容にめちゃくちゃマッチしていた。原作漫画には原曲が登場していたらしい。原作漫画は未読なので漫画のほうのストーリー展開は知らないのだが、映画の終わり方がすごく好きだった。爽やかで後味がよく、すっと沁みこむようなラストだった。

あと、私が大泉洋さんのことを好きなので、単純にあきらちゃんに感情移入しやすかったのかもしれない。実際、店長はとってもかっこよかった。

『フロントメモリー』は、夏の、あの気だるさと寂しさと眩しさ、そして原因不明の焦燥を詰め込んだような曲である。そして、どこか懐かしいような気持ちにもなる。妙に胸がひりひりするのだ。

 

私は好きな曲はしつこく聴き続けるタイプなので、夏気分で春夏秋冬春と聴き続け、そして、また夏を迎える。

かまってちゃんちの曲は依存性もあるが結構クセが強いと思う。原曲を灰汁抜きしてまろやかに仕上げたものがこちらです。という感じの曲かもしれない。

急にアイスが食べたい真夏日 外はテカテカしてまぢあっちーし

扇風機に顔ぶんぶん当ててはカエルのようにこうなっちゃって

3時の感じにもたれて 窓の外をうとうと見るたび

自分なんて分からなくなってきた

 この「3時の感じにもたれて」という歌詞が好き。

 ∟ ←こんな感じにもたれているのだろう。たぶん。

8月駅降りて

田んぼで叫んだりして

 

作詞:の子 作曲:の子

鈴木瑛美子×亀田誠治 フロントメモリー 歌詞 - 歌ネット

田舎で育った私は、夏の田んぼのあぜ道を思い出す。自分の中の原風景にガチッとはまるのだ。

 

youtu.be

フロントメモリー

フロントメモリー

  • provided courtesy of iTunes

佐藤友哉『デンデラ』

七十歳をむかえた『村』の老人は当たり前のように『お山』に棄てられる。斎藤カユも例に漏れず『お山』に棄てられた。雪に埋もれ寒さに凍え、朦朧とする意識の中、斎藤カユは「まだ生きているぞ」という老婆の声を聞いた。

意識を取り戻した斎藤カユは、老婆たちに囲まれていた。皆、斎藤カユより以前に『お山』に棄てられた老婆たちであった。彼女らは、『お山』を挟んだ『村』の反対側に集落をつくりそこで生存していたのだ。この集落を、老婆たちは『デンデラ』と呼んでいる。『デンデラ』の長は、百歳の三ツ屋メイである。『デンデラ』には、老婆しかいない。斎藤カユがそのことを指摘すると、

「馬鹿な話! 男を助けるわけがないだろうが!」

三ツ屋メイはそう言い放った。

斎藤カユには上手い表現が思いつきませんでしたが、それは女だけが持つ共通の認識、共通の感情、共通の困難があるゆえの結果でした。

 

デンデラ』の老婆たちは、協力し合ってはいるが決して皆が仲良く暮らしているわけではない。『デンデラ』にも派閥があり、『村』に恨みを持ち『村』を襲撃し殲滅しようとしている襲撃派、『デンデラ』でただ穏やかに暮らしていきたい穏健派、そして、どちらとも言えない派があり、揉め事が絶えない。

 

斎藤カユは、本気で死ぬつもりだった。気高く死んで極楽浄土に行くつもりだったのだ。それが正しく尊い行いだと信じていた。だから、『デンデラ』で情けなく生き延びた老婆たちを恥知らずだと罵り、反発心を抱いていた。しかし、『デンデラ』を羆が襲ったことや、謎の疫病の流行をきっかけに、斎藤カユは自分が本当はどうしたいのかを考えるようになる。だが、常に男たちに従い生きてきた『村』での人生を経て、疑いもなく『お山』で死んで極楽浄土へ行こうとしていた斎藤カユには、思考する習慣がついておらず、自分がどうしたいか、という答えも、うまく具体化できない。胸の内には何かあるように思うのだが、なかなかそれが鮮明にはならないのだ。物事を自分で考える訓練ができていないので、何をどうすればいいのかわからなかった斎藤カユも、『デンデラ』に来てからは『村』では感じたことのなかったさまざまな感情も覚え、不慣れながら自分の頭で思考するようになる。そして、大目標を持ちたいと思うようになる。

 

物語の折々で、『デンデラ』を襲う雌の羆の視点が入る。生きようとする老婆たちと、生きようとする羆。根本は同じであるのだが、木槍くらいしか武器を持たない老婆たちと、大きな体と強い牙や顎、鋭い爪を持つ羆との対比が絶望的に描かれている。しかし、圧倒的に力の差がある羆に、老婆たちは頭を使ってなんとか立ち向かおうとする。多くの犠牲が出るが、羆に恐怖しながらも向かっていくその様は、老婆とは思えないほどパワフルだ。

死に損ないの前に、死に物狂い

これは斎藤カユが、とある場面でとある老婆たちを指して表現したものだが、この物語全体に言えることでもあると思う。

斎藤カユという人間の本当の命は、『お山』に棄てられてから初めて活性化したように私には感じられた。その活性化した命で、斎藤カユが死に物狂いで実行しようとしている大目標は「どう生きるか」そして「どう死ぬか」の究極のような気がする。

 

実は、以前読んだ吉村昭羆嵐』がとても怖くておもしろかったので、他に羆が出てくる小説はないだろうかと探して、これかな、と思ったのがこちら『デンデラ』であった。『羆嵐』みたいな話ではなかったが、しかし、大変おもしろく読んだ。

ラストも爽快感があり、胸にくるものがあった。

 

印象的だったのは、序盤にある斎藤カユと保科キュウのやりとりだ。

「極楽浄土へ行けば、永劫の幸福がやってくるんだ」

 斎藤カユは多くの感情をまとめるのに無理を感じまして、それだけを云いました。

「永劫の幸福なんてあるわけがないよ」保科キュウはすぐに返しました。「貴女は極楽浄土に行けば幸福になれると信じているみたいだが、本当にそうかな」

「違うというのか」

「多くの者らの思いや、願いや、怒りや、そうしたものが集まって濃くなったところなんか、幸福なものか。それに、極楽浄土にだって法や悪はあるだろうしね。死んだところで何も変わらないし、終わらないよ」

「だったら私達はいつ安心できるんだ」

「安心なんてないよ。だから、生きなくちゃならない」

このやりとりを読んだとき、安心なんてないのか…と、斎藤カユといっしょにつらくなってしまった。私はできれば安心がほしい。安心なんてないから生きる。そう思えるようになるには、どのくらいの年月がかかるのだろう。

デンデラ (新潮文庫)

デンデラ (新潮文庫)

 

おすすめPodcast『怪異伝播放送局』

夜のごはんの片付けを済ませたあと、20分ほど歩いている。

いつものように川沿いの道を歩いていると、黒くてまるっこい何かが、かさささっと私の横をすれ違うかたちで通り過ぎた。びくっと驚いてしまい立ち止まって振り返ると、黒いまるっこい何かも立ち止まって振り返っているようだった。

猫や犬の動きではなかったので、タヌキかアナグマヌートリアだと思う。明るいときにもよく見かけるのはタヌキなので、おそらくそうだろうとは思ったが、川沿いの道は暗いので、まるっこい何かの輪郭ははっきりせず、私はそのまま歩みを進めた。心臓がどきどきしていた。ちょっと怖かったのだ。

そのとき聴いていたのが、『怪異伝播放送局』であった。ちょうど、ある怪異で動物の死体を発見して云々という場面だった。

『怪異伝播放送局』は、誰かの体験した怪異を5分前後でさらっと朗読してくれるポッドキャストの番組である。本当にさらっとした感じで、原因を解明するわけでもなくその後の展開を追い求めるわけでもない、体験した現象を淡々と語る様式なので、そんなに怖いと感じることはないのだが、真っ暗で風の強い中をひとりきりで歩いているときに聴くと、雰囲気にのまれてどきどきする。

怪異というものは年中無休だと思うのだが、なぜか夏に聴きたくなる。これからの季節におすすめ。


https://podcasts.apple.com/jp/podcast/%E6%80%AA%E7%95%B0%E4%BC%9D%E6%92%AD%E6%94%BE%E9%80%81%E5%B1%80/id1081039011?uo=4